- 第87回
- 木に教わり、山に叱られる
―効率を求める使い捨て社会からの脱却―
- 勝股 文夫 (炭焼き名人)
- 塩野 米松 (作家)
- 藤原 誠太 (盛岡の養蜂業)
私たちは高度経済成長を経て、物質的には豊かになったが、多くのものを捨て去った。大自然の周りに存在した手仕事もその一つだ。職業が消えることで、そこに引き継がれ、蓄積されてきた経験や知恵が失われた。今後も私たちは同じ過ちを繰り返すのか。
塩野氏は、「僕たちはアホではないかと思うほど大事なものを置き去りにしてきた。便利な社会を手に入れたけれども、かつての手仕事の中にあった、自然素材を使いつつ手入れし、後継者に技を教え、人が使い終わったものをまた自然に返すというほぼ完全な循環を捨て去った。資源のことも考えずに大量生産大量消費の道を選んだ。こういう職業が消えてから、今もう一度あの頃の自然をとり戻そうと思っても難しい。国はいかに自然を利用しながら、次の木を植え育てていくのか大きなビジョンをもつことが必要」と話す。
勝股氏は「近年よく熊が里に出るが、その原因は手入れのされない植林にある。荒廃して伸びきった枝の陰では、低木林が育たない。熊が食べる木の実がなくなり、餌を求めて里に出る。また重要なのは植林よりも良い木を選んで伐り、次の世代に残すべき木を保存する択伐である。」「大きな木でも炭にはなるが、商品としては割らずに丸いままのものに価値がある。それは均等に火が丸く出るため鰻や焼鳥を焼く時に良い。自生の状態に出来るだけ近い形に焼き上げるのが名人」と話す。昨今のグルメブームで炭焼き料理が人気だが、どれ程の人が備長炭の成り立ちまで思いを馳せるだろか。塩野氏は、「『用材』は『有用材』の略で役に立つ木、『雑木』は用材にならないものを言ったが、雑木も薪や炭焼きで用材として使われていた。それが炭を使わない時代が来て、雑木を伐る人がいなくなった。用材だけでは山の木は育たない」と付け加える。
藤原氏は「現在の養蜂の効率だけでいえば西洋蜜蜂だけ飼うのがよいが、日本蜜蜂でなければできない仕事もある。何百万年もかけて植物と蜜蜂の会話が成り立っており、在来種の花には日本蜜蜂が行きやすい。西洋蜜蜂だと高くて届かない花も日本蜜蜂だと届くことがある。日本蜜蜂の蜜は肝臓にとても良く、昔は薬用として高貴な位の方に納められていた。養蜂家の採り方次第で、日本蜜蜂の蜜の用途も拡大できる」と話す。
資源を枯渇させず、循環させながら使い続ける方法を、今一度考えたい。