第21回
「逝きし世の面影」
―国づくりは歴史に学ぶことから始まる―
1999.02.24
  • 渡辺 京二 (評論家)
  • 川勝 平太 (国際日本文化研究センター教授)
  • コーディネーター:加藤 秀樹 (構想日本 代表)

自分の国の文化というのは自分では分からない。なぜならその文化に属している人々にとって当然なことは看過され、異文化の人々により初めて認識されるからだ。明治の開国当時に日本を訪れた外国人の文献の重要性に気づき、歴史に限らず風俗や習慣まで含めた広い文献を総合的にまとめた本が渡辺氏著「逝きし世の面影」である。当時の外国人は、「日本の農民は豊かで自由だ。これほど民衆に干渉しない政府はない」と残している。渡辺氏は、我々は近代化で、1.社会との親和性 2. 自主性 3.死生観の哲学を失ったと話す。特に2については社会から人間らしくいるための条件を示され、全て自己決定しているように見えて、様々な強迫観念に縛られて選択の幅が狭くなっていると言う。労働をとってみれば好きな時間に働いて好きにやめるという「自分が自分の主人公」である自由さが失われた、と。3.については感覚として、自然と共に生き、死ねば大きな宇宙の循環に帰る宿命を受け入れる謙虚な気持ち、即ち哲学を私達は失ったと話す。「どう考えても異常なところに近代は来てしまった。」「しかし、自分たちでやったことだから自分たちでとり返しがつく。」

川勝氏は、「近代以降の日本人がもっていた大切なものを、強いられたわけでなく自ら意識して失った点が面白い。日本は取り込むことに関しては、和魂洋才どころか、洋魂になってやろうというくらい、全てを取り込む程に力がある」と話す。また西洋は日本を美、日本は西洋を強とみて、ヨーロッパの美術史にジャポニズムという新たな潮流をもたらした点にも触れる。「いま欧米が一つの時代を終えて出した共通感覚は、Small is Beautifulの概念ではないか。当時の日本は確かに小さく美しい世界であった。世界も認めた魅力あるものを日本社会のためだけでなく、地球社会のために再興できるのではないか」と語った。