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【1】「特ダネではないけれど(3) 国債と民主主義」
新聞記者 松浦 祐子
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財政破綻とは、どういう状況なのか。
新聞ではよく、「政府の借金である国債が、信用を失い、政府が新たに国債を発行する際に高い金利を払う必要が出てきて、財政運営が立ちゆかなくなる」といった説明をします。これを私は、前回のコラム※で「市場で国債が買われなくなること」と極めて単純化して定義しました。
そもそも、国債とは、何なのでしょうか。
財政破綻の原因にもなる一方で、国債は「安全資産」と呼ばれることもあります。実のところ、私は、この安全資産という意味が、なかなか腑に落ちませんでした。
「あー、そういうことなのか」と理解できたのは、「国債の歴史」(富田俊基著、東洋経済新報社)という本を読んだ時でした。少し長くなりますが、そこで説明されていることを紹介したいと思います。
有史以来、紙幣や私的な借金というものはありました。絶対王政の時代には、国王が借金をしましたが、自ら棒引きしたり、後継者が踏み倒したりすることができました。
それが、イギリスで1680年代の名誉革命の後、国王の借金に議会の承認が必要となり、議会は国債を発行する際には、利払いに必要な税収を確保するために、増税を条件としました。そこで、踏み倒される可能性のあった国王の私債が、国民の借金である「国債」へと本格的に変わりました。
議会が関与し、償還を約束することで最も安全確実な資産という位置づけを得たというのです。それゆえに、富田氏は「国債の償還可能性はそれぞれの国の民主主義によって担保されてきた」とし、「国債市場は、絶えず民主主義の健全性を推し量ろうとしている」と記しています。
国債と聞くと、銀行や生命保険会社、投資家だけが関係する市場の話だと思われがちです。
国債がずっと買われ続けるように、市場の関係者がうまくやれば良いではないか。日本銀行が買い支えれば良いではないか、と思う方もいると思います。しかし、実は、国債を適正に管理することは、議会であり、有権者の役割なのです。極めて日本の民主主義のあり方と関わることなのです。
日本の財政が破綻するということは、同時に、日本の民主主義の破綻を意味するとも言えます。
そうなっては欲しくない。
そのような思いを込めて、団塊の世代が75歳以上となり、社会の構造に大きな変化が起こりうる2025年までに、今の過剰な国債額を減らしていく方策や、今後も国債の信用度を一定以上に保つためのあり方について、これから検討していきたいと思います。
※特ダネではないけれど(2) 財政破綻の崖 http://kosonippon.org/wp-manager/mail/detail.php?id=703
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松浦 祐子 (まつうら ゆうこ)
1974年 神戸市生まれ。大学院修了後、1999年新聞社に入社。和歌山、高知での地方勤務、東京での雇用、介護分野、厚生労働省、財務省担当などを経て、現在は新潟で県政を担当。
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