- 第213回 JIフォーラム「老・病・死を考える」:「死とは特別ではなく日常のこと」(佐藤)「人は死ぬとき何が起きるのか、死後どうなるのか=周死期学」(対本)
第213回のJIフォーラムのテーマは「老・病・死を考える」。
ディレクター伊藤による実況ツイートです。
いつもながら一言一句の正確性よりも雰囲気を感じてください。
213回目のJIフォーラムスタート。「老・病・死を考える」。ゲストは富山県砺波市でナラティブホームを立ち上げ現在は「ものがたり診療所」所長の佐藤伸彦さんと、僧医で現在「リンデンクリニック」院長の対本宗訓さん。 #kosonippon
— 伊藤伸 (@Ito53Shin) 2015, 6月 25
まず佐藤さん。「命は2つの考え方がある。漢字の『命』とひらがなの『いのち』。臨床上ではその二項バランスが重要。医療をする上では『腑に落ちる』ことを目指す。『いろいろあったけどそれなりの人生だった』というものがたりの死を感じられるかどうか」
— 伊藤伸 (@Ito53Shin) 2015, 6月 25
佐藤「身をもって人と接することでしか伝えられないことがある。最近、『看取る』という言葉が多用されるが違和感がある。看取ることの主体は誰なのか。医療者なのか。しかし、多くは死亡確認をしているだけであってそれは主体とは言えない。」#kosonippon
— 伊藤伸 (@Ito53Shin) 2015, 6月 25
佐藤「『死』の直前まで人は生きている。『死』を見届けるのではなく最後の最期まで生き抜く『生』を支える。例えば死の直前は入浴中の死を懸念して入浴自体を控えることが多いが、ナラティブでは死の直前まで入浴をしてもらっている。生きているのだから当然」 #kosonippon
— 伊藤伸 (@Ito53Shin) 2015, 6月 25
佐藤「日本では血縁⇒地縁⇒無縁と流れてきた。行為としての看取り、存在としてのヤシナヒビト(養い人)。死への過程は特別なことではなくまったく当たり前の日常に回帰する。その日常を支えることができればありがたいと感じている」 #kosonippon
— 伊藤伸 (@Ito53Shin) 2015, 6月 25
対本さん「自身は宗教者として言葉と実態が伴わないことがあると感じてきた。45歳で医師になり最近診療所を開業した。患者1人に4,50分かけてお話を聞きお話をする。宗教者なので自分は満足、患者も大満足。ただ診療報酬にはつながらず経営としては成り立っていない」 #kosonippon
— 伊藤伸 (@Ito53Shin) 2015, 6月 25
対本「人は死ぬとき何が起きるのか、死後どうなるのか。現在「周死期学」を研究している。人は死ぬ時この世から向こうの世界へ還っていく。」 #kosonippon
— 伊藤伸 (@Ito53Shin) 2015, 6月 25
対本「治るための医療が病院、治らない時の医療がホスピス。日本にはその中間がない。イギリスには補完医療の機能がある。スローガンは『がんとともによく生きる』。末期の患者も初期の患者もいる。治るか治らないかとともにいかにしてよく生きるか。それを今実践している。」 #kosonippon
— 伊藤伸 (@Ito53Shin) 2015, 6月 25
佐藤「尊厳死について。死と尊厳は切り離されるものではない。死にくっついているのが尊厳だと思う。つまり死を迎える時に尊厳を考えることは当たり前だということ」 #kosonippon
— 伊藤伸 (@Ito53Shin) 2015, 6月 25
対本「医療と霊性=スピリチュアリティは結びつく。ただし、スピリチュアルとは、肉体から離れてさまよっていることではない。現在、肉体を持って生きていること。高邁なことなのではなく日常の中で起きていること」 #kosonippoon
— 伊藤伸 (@Ito53Shin) 2015, 6月 25
対本「今は僧と医が離れてしまっている。本来は袈裟を来て病院にいてもいいと思うが今はできない。『葬式仏教』と言われるように、坊さん=葬式=死というイメージがついていることが大きい。」 #kosonippon
— 伊藤伸 (@Ito53Shin) 2015, 6月 25
佐藤「悪いケアをしても診療行為は継続されるため報酬は入り続ける。良いケアをして早く診療が終わると報酬は入らない。ケアの質を測る仕組みがない。要介護度が低くなれば良いことなのに受けられるサービスが限られるため要介護度は高くしてほしいと家族は言う」 #kosonippon
— 伊藤伸 (@Ito53Shin) 2015, 6月 25
佐藤「生きていくことを支えるにあたっては当然排泄についても同じ。おむつにするのか管を通すのか、すべて患者の気持ち次第。トイレで排泄をしたいと思う人が大部分。間に合わない人もいる。その時は後ろからそっと拭いてあげればよい。すべてはどうやって支えてあげるか」 #kosonippon
— 伊藤伸 (@Ito53Shin) 2015, 6月 25
佐藤「ナラティブとは聞くとか傾聴ではなくて、接するときの『私』の態度のことを意味する。『相手」ではなく自分のこと」 #kosonippon
— 伊藤伸 (@Ito53Shin) 2015, 6月 25
対本「これまで制度とは無縁の世界にいたので、いま医療行為をする中で保険医療のむずかしさを痛感している。医療の質を指標化できればいいがなかなかアイデアはない」 #kosonippon
— 伊藤伸 (@Ito53Shin) 2015, 6月 25